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ありがとう!2008

2008年も、残すところ後2時間あまり・・・

皆さんにとって、どんな1年でしたでしょうか?


私にとっては、FC2に引っ越してきてこのブログを立ち上げ、お友達が新たに出来、更に公私では10月から白衣の天使として再就職をして、めまぐるしい1年でした


来るべき、2009年が今年以上に素晴らしい1年になればいいなぁ~と思っております!!
皆さん、1年間ありがとうございました!

来年も宜しくです!!


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すごいぞ!!

気がつけば長い間、更新してなかった・・・

あ・・・、私生きてますよ~!




仕事に忙しくしてて、中々更新するのが難しくって・・・(疲れて寝たりして、皆さんの所にお邪魔しても、読み逃げ常習犯してます・・・。少し落ち着いてきたので、徐々にコメントをしていきたいと思いますので許してくださいね!!)

さてさて、本題ですが・・・

昨日、矢掛本陣:篤姫様ご一行が宿泊 「陸路での輿入れ」史実裏付けと言うニュースを見ました!!

矢掛本陣は、私の住んでいる岡山県にあります!!

以下はhttp://mainichi.jp/area/okayama/news/20081127ddlk33040726000c.htmlからの引用です

江戸時代の宿場町、矢掛町の「矢掛本陣」(国指定重要文化財)に、徳川第十三代将軍の正妻天璋院篤姫が、輿(こし)入れのため江戸城に向かう道中に宿泊していたことを示す記録が、町やかげ文化センターの調査で見つかった。NHK大河ドラマ「篤姫」では海路で江戸を目指したと描かれたが、史実では陸路で山陽道を通ったことが裏付けられた。関係者は「このタイミングをとらえて町にも注目を集めたい」と喜んでいるそうです。

 宿場町は17世紀前半に形成され、「矢掛本陣」は参勤交代の大名や天皇の勅使らが利用した。大名行列は本陣を中心に町全体に宿泊した。本陣を代々運営してきた石井家には膨大な宿泊記録が残っており、県立博物館に寄託している「宿方御休泊留(しゅくかたごきゅうはくどめ)」などの史料から同センターの渡辺和夫・古文書室長(75)が突き止めた。

 本陣の宿帳にあたる同書には、嘉永6(1853)年9月、「中将様御娘也  一、薩州御姫君様 御登御泊 御拝領銀三枚」などの記録があり、女中や役人ら52人が宿泊したことが判明。また、家来などが泊まる下宿(しもじゅく)には、同年9月17日付の記録「薩州御姫様御泊御下宿帳」が残され、周辺33軒に計208人が宿泊したことが分かった。渡辺さんは「この年の“薩摩の中将”といえば藩主島津斉彬で、娘は養女の篤姫のこと。研究では同年8月21日に鹿児島を出発、10月23日に江戸に到着したとされ、矢掛への到着が通常より遅いが、大切な姫だけに行列はゆっくり進んだのだろう」と推測している。

 県立博物館学芸員が「研究者の間では、江戸行きは海路ではなく陸路とされている」と指摘。渡辺さんが約2カ月かけ、パソコンで古文書の複写画像を読み解き、篤姫の江戸城入りの安政3年(1856年)から4年さかのぼった時点で記載を発見した。渡辺さんは「調査結果が町の役に立てば」と話している。


当時、海路を行くにはかなり大きな船舶が必要であったと思うし、波任せの状態に近ければ日数もかなりかかったのでは?と、大河ドラマを見て思っていたのですが・・・


これは歴史的に見ても、重要な発見ではないか?と思います!!



我が家では、

再来年の大河ドラマは『改訂版、篤姫』だ!!

と大盛り上がり(笑



娘は、落飾してからの篤姫にはあまり興味を示していませんが・・・(政治的要素が話の中に多くなってきてしまう為、小学生にはちょっと難しいようです!!)

N○Kさん、改訂版の放送検討してください!!


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